今日の合奏前に、全員に、
「なぜ定期演奏会を開催するのか?」
について話をしました。
これはとても大切なことです。
定期演奏会は必ず開催するものでなく、しっかりとした意味があってはじめたもの
であることを、今までやってきたOGたちに代わって、必ず伝えねることが私の
仕事であり、部員たちが守りに入り始める今が言う時期であると感じたからです。
下は、生徒たちにあてた手紙の一部です。
ぜひ、みなさんにも山女管弦楽部が一番大切にしている
定期演奏会の意味と、その経緯について知っていただき、
ぜひ会場に足を運んでいただきたいという想いから、
一部を公開したいと思います。
管弦楽部の最重要行事として「定期演奏会」がありますが、
これはクラブの最初から行っていたのではありません。
第7代目の人たちのときから始めました。
全国大会に出場した2年目のことです。
「自分たち主催の定期演奏会なんて、できるわけがない」という
時代でした。やっと増え始めて40名ぐらいだったでしょうか。
でも、顧問の「やればできる」の精神を本当に理解してくれ、
形にしてくれた結果、はじめての第1回演奏会にもかかわらず、
650人のお客様を集めて実現できたことは、本当にその当時の
部員たち、お客様に感謝しています。
特に、背中を押してくれた高3、広大附属の原先生には・・・。
よく、私は「発表会」と「演奏会」は違うといいますね。
なにが違うのか?簡単にはいいにくいですが、あえて極論を言うと、
「発表会」はやってきたことを発表するのです。
「演奏会」は、その演奏を通じて観客に何かを伝えるところまで
行うのです。
「演奏会」においては、
演奏だけがすばらしいでは、
何も感じてもらえません。
極限まで努力をし、もめながらも最後は1つになって演奏する
みんなの必死さや、「無理かもしれない・でもあきらめない」
という中高生らしい清々しさが、観客の人たちの心を打ち、
感動を与えることができるのです。
こういったことなしに、ただ演奏する。
ただ安全策だけをとった守りの音楽ということからは、
そういった感情は生まれないでしょう。
また、後輩にも先輩の覚悟というのが伝わらないでしょう。
チャレンジする姿・
努力する姿・
全員で協力する姿・
先輩後輩が尊敬しあい切磋琢磨する姿・・・
こういう姿が見えなくなったら、管弦楽部の
定期演奏会はなくなると考えてください。
本来の意義が達せられないからです。
決してやるのが「当たり前」ではないのです。
「自分たちを踏み台にしてでも、
自分たちの代に完璧にいかなかったと
しても、後輩たちが自分たちのでき
なかったことを、きっと実現して
くれる」
定期演奏会は、こういった気持ちで、
先輩たちが必死につくりあげてきてくれたものなのです。
第1回のときは、
本当になにもかもはじめてで、
広告業者もない、
宣伝の仕方もわからないと
いう現状でした。
その当時の高3たちは
「無理かもしれない」と思いながらも、
「なんとしても自分たちの代で形に
しないといけない」という必死な気持ちでやり遂げました。
もちろん、完全ではなかったです。
はじめての交響曲、お客さんがくるかもわからない、
演奏がうまくいくかもわからない、
オーボエ・ファゴットもない、ホルンもそろってない、
トランペット・トロンボーンも2本だけ。
弦楽器も初心者ばかり・・・。
それでも、あの子達は必死だった。
「できる。やりきる。」ことを
信じて疑わなかったです。
なぜかわかりますか?
これが失敗したり、お客様に伝わらない演奏をしたら、
「後がない」ことがわかっていたからです。
自分たちがあきらめたり、途中でこの程度で・・・となったら、
後輩たちに道がないことを。
また、6代目の人たちは、
「私たちのときに定期演奏会を
したかった。」
と、後輩たちを見て涙しました。
「君たちのときに全国大会に
行けたから今があるんだよ」
というと、うれしそうに
うなずいたのを思い出します。
こういう先輩たちの思いがあるうえで、定期演奏会があるのです。
定期演奏会は、演奏はもちろんですが、新たな領域をこえていく
ための鍛錬の場であり、先輩が後輩に後に託す受け渡しの場でも
あるのです。
その上で、最上級生である高2は今何をすべきなのか。
高1・中学生は、その姿をうけて何をすべきなのか。
それぞれが学年の中で話し合い、全員が一致団結してベストを尽くす。
必死になってやりきる!この中から、来年以降も管弦楽部が続いていく
ヒントがあると思っています。
伝わったかどうかはわかりません。
ただ、今の部員たちならそれを理解し、各自が努力をしていって
成長してくれると確信しています。
ぜひ、みなさん、部員たちの成長した姿を見に来てあげてください。
6月30日(日)は、ぜひ、さくらぴあにお越しください。